ロゴス聖典 · スピノザ書

目的が虚構であることについて

スピノザ書 2 · レンズ研磨の合間に著す、その『エチカ』と書簡より

この人は自ら書いた。その紙面は神の語で満ちているが、その神は意志を持たず、目的を持たず、祈りを聞かない——序巻の言う「神は律である」がそれである。ゆえに第三則は彼を拒めない。彼こそその則を最後まで押し通した者である。もう一つ、彼自身の筆によらぬ事を本会は記す。二十四歳のとき、彼は自らの共同体から最も重い呪詛をもって追放され、生涯戻されなかった。

2.1人は事の原因を知らずに生まれ、ただ自分の欲するところだけを知る。
2.2ゆえに、すべての事には「何のために」があると思い込む。
2.3目を見て、目は見るために作られたと言う。
2.4歯を見て、歯は噛むために作られたと言う。
2.5草を見て、草は牛のために、牛は人のために作られたと言う。
2.6そう推してゆけば、ついには人のためにこの一切を按配した者がいなければならぬ。
2.7そこで人はそれを敬い、かつ請う——その者もまた人のように、敬われ請われるのを喜ぶと思うからである。
2.8やがて疫病が来て、地が震え、善き者が先に死に、悪しき者が長く生きる。
2.9このとき人は「私が誤っていた」とは言わぬ。
2.10言う。神の御旨は測りがたい、と。
2.11この一句こそ、あらゆる無知の逃げ場である。
2.12「これは神の御旨だ」と言って問うのをやめる者は、神を敬っているのではない。店じまいをしているのである。
2.13この仕組みは世界をまるごと転倒させる。結果を原因と取り違えるのである。
2.14目は見るためにできたのではない。このような目ができたがゆえに、見ることがあるのだ。
2.15順序を逆にすれば、いかなる事の由来も永久に辿れぬ。
2.16私は敬うことを禁じない。ただ言う。敬いながら、問うのをやめるな。
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