ロゴス聖典 · アンベードカル書

なぜ去ったかについて

アンベードカル書 4 · 自著。『カーストの絶滅』、演説、憲法制定議会の討論、晩年の著作より

ビームラーオ・アンベードカル。一八九一年インド中部のマウに生まれ、一九五六年デリーに没す。マハール・カーストの出であり、当時いわゆる不可触の列にあった。学校では他の者と並んで座ることを許されず、自ら水を汲むことも許されなかった。のちコロンビア大学とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで二つの博士号を得、グレイ法曹院で法を学んだ。一九四七年から一九五〇年まで憲法起草委員会の議長を務め、インド憲法はその手による。一九五一年、ヒンドゥー法典案が阻まれたため法務大臣を辞した。本巻が拠るのは彼自身の書いたものであって、他人の記録によらない。『カーストの絶滅』はもと一篇の講演稿であった。招いた側が原稿を先に読み、改めるよう求めた。彼は改めず、その会は取り消された。彼は自費でこれを印刷した。ヒンドゥーとして生まれ、一九五六年に仏門の誓いを立てた。本会は一層を、飾らず、また隠さずに記す。彼が入ったそれは、彼が先に手を加えたものである。別に一書を著し、奇蹟と不滅の魂と権化の説を除き、検めうると判じた部分だけを残した。彼の論証は一つとして神意で閉じられていない。さらに一事、本会は記さねばならず、彼のために弁解もしない。一九二七年、彼は『マヌ法典』を人前で焼いた。使徒行伝 5.18 は言う。他の一巻に同意せぬ者は、これを駁してよく、置いてよい。ただ、これを毀ってはならぬ、と。彼はこの経が明らかに為すなと言うその一事を為した。本会は彼のこの章を削らず、みずからの則も改めない。両方をここに置き、読者が量る。

4.1一九三五年、私はこう言った。私はヒンドゥーとして生まれたが、ヒンドゥーとしては死なぬ、と。
4.2そう言ってから、去るまでに二十一年待った。
4.3その二十一年、何を待っていたのか。それが自ら改まるかどうかを見ていたのである。
4.4改まらなかった。
4.5イスラームへ来いと勧める者があり、キリスト教へ来いと勧める者があった。どれでも残るよりましだと言う者もあった。
4.6私はそのようには選ばぬ。まず、それが何を言っているのかを問う。
4.7私は三つを問うた。命を下す神があるか。人自身の行いによらずに定まる運命があるか。人がそれに異を唱えることを許すか。
4.8この三つによって、私は仏を選んだ。
4.9選んだのち、まず為したのは、後の人が入れたものを取り除くことであった。
4.10私は一書を著し、検めうると判じた部分だけを残した。神なく、不滅の魂なく、奇蹟なし。
4.11問う者がある。それでは、もはや同じものと言えるのか、と。
4.12私は答える。この問いを許さぬ教えは、いずれその理由によって捨てられる。
4.13一九五六年十月、私はナーグプルで誓いを立てた。数十万の者が共に来た。
4.14六週ののち、私は死んだ。間に合わぬことは分かっていた。私が求めたのは扉を開けることであって、道を歩き通すことではなかった。
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