ロゴス聖典 · ジョン・スチュアート・ミル書

満足した愚者より不満足なソクラテスについて

ジョン・スチュアート・ミル書 2 · 自著。『自由論』と『自伝』より

ジョン・スチュアート・ミル。一八〇六年ロンドンに生まれ、一八七三年フランスのアヴィニョンに没す。父が自ら教育した。三歳でギリシア語、八歳でラテン語、同年配の子と交わることを許さなかった。二十歳で心が折れ、ワーズワースの詩を読んで戻ってきた。一八五九年『自由論』、一八六九年『女性の隷従』、『自伝』は没後の刊行である。一八六五年下院に入り、一八六七年、女性に選挙権を与える動議を出した。英国議会において最初のことであった。本巻が拠るのは彼自身の書いたものであって、他人の記録によらない。彼はこの経の中で唯一、宗教を持ったことのない者である——捨てたのではなく、はじめから持たなかった。第三章と第四章は、本経に欠けていた一事を補う。会規七が柱廊に経文を駁すことを許す、その理由である。

2.1ここで私は、おおむね同じ側に立つ一人に反論せねばならぬ。
2.2ある者は言う。快は快であって、量の差があるだけで、高下の別はない、と。
2.3その言い分では、人は量を数えれば足り、どこから来た快かを問う必要はない。
2.4私は同意せぬ。快には高下があり、しかもその高下は私が押しつけたものではない。検めうるものである。
2.5どう検めるか。私は一つの規を立てる。
2.6二つの快があり、その両方を十分に味わった者のほとんどすべてが、決然と一方を選ぶなら——その一方が高いほうである。
2.7「両方を十分に味わった」という句に注意せよ。この章の重みはことごとくそこに掛かっている。
2.8一方しか知らぬ者は数に入らぬ。証人にはなれぬ——低いからではない。両側を見ていないからである。
2.9二つの快のうちどちらがより値打ちがあるかと問われれば、両方を知る者たちの判定のほかに訴えうる法廷はない。どちらが量において大きいかという問いですら、この法廷のほかに訴え先はない。
2.10さて、検めて何が出てくるか。
2.11両方を知る者のうち、低いほうへ移ることに同意する者はほとんどいない——低いほうがその満々の分量を約束したとしても。
2.12見識ある者は愚者になることを承知せず、学ある者は無知になることを承知せず、情ある者は利己で卑しい者になることを承知せぬ。
2.13移ったのちには今より満足するであろうと請け合われても、承知せぬ。
2.14なぜか。人の内には尊厳と呼ばれるものがあるからである。
2.15それが強い者においては、尊厳と衝突するものは、一時は欲しえても、長くは欲しえぬ。
2.16ゆえに私は言う。満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した愚者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
2.17その愚者や豚が異を唱えるなら、それは彼らが自分の側しか知らぬからである。他方の者は両側を知っている。
2.18耳に快くないことを一つ加える。高いほうの快は、失われうる。
2.19それを受け取る力は、多くの人において、きわめて弱い若草である。水をやらねば枯れ、枯れたことを当人は知らぬ。
2.20多くの人は低いほうを選んだのではない。ある年齢に至って、高いほうをもはや受け取れなくなったのである。
2.21ソクラテスは言った。審視されざる生は、生きていても死と異ならぬ、と。(参 至高の盟約 1.3)
2.22この章は、その一句の下に理由を補うだけである——なぜ不満足なソクラテスが、満足した愚者に勝るのかを。
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