ロゴス聖典 · エピクロス書

快には頂があることについて

エピクロス書 2 · 園に伝わる、その書簡と断片より

エピクロス。紀元前三四一年頃サモスに生まれ、前二七〇年頃アテナイに没す。前三〇六年頃アテナイの郊に園を購い、そこで教えた。学派の名はこれに由る。園には女も奴隷も弟子として受け入れられた。当時のいずれの学派もこれをしなかった。著述は三百巻に及ぶと伝えられるが、今日残るのは三通の書簡と主要教説、および断片のみである。神々が人の事に関わるとは信ぜず、人が死んだのちに何かが残るとも信じなかった。彼はアリストテレスの後に来る。神意に訴えず、来世も約さぬ。この巻は六つの公理によって取捨する。合うものは前に出し、背くものは後ろに置いて、削らぬ。(参 使徒行伝 5.29)さらに。本書二章は、痛みが除かれた点が快の頂であると言い、ショーペンハウアー書 3 は、満足とは欠如の一時の休みにすぎぬと言う。二説がともに全く正しいことはありえぬ。本会は両者を並べ置き、裁かぬ。読者みずから比べよ。

2.1私は人生の帰するところは快であると言う。人はこの一句を聞いて、私が放縦を教えていると思う。
2.2その人々は二句目を読んでいない。肝要なのは二句目である。
2.3快には頂がある。
2.4快の頂とは、あらゆる痛みが除かれたその一点である。
2.5その点に達すれば、それ以上加えうる快はない。
2.6なお味を変えることはできる。幾度でも取り替え、変化させうる。だが加えることはできぬ。
2.7飢えた者が満ちるのは、痛から不痛へ行くことである。すでに満ちた者が珍味を食うのは、不痛からさらに不痛へ行くことではない。
2.8「不痛」に別の味をつけたにすぎぬ。
2.9多くの人が生涯かけてしているのは、力を費やして味を買いながら、量を買っていると信じることである。
2.10これは信じがたい。日々、自分より良く暮らす者を目にするからである。
2.11君が見ているのは、彼の味が君より多いことであって、量が多いことではない。
2.12ここから、さらに信じがたい一句が出る。限りなく続く日々のうちに得られる快は、限りある日々のうちに得られる快より多くはない。
2.13快の限度がどこにあるかを算え得てさえいれば。
2.14ゆえに「永久に生きられたらよいのに」と思う者が欲しているのは、より多くの快ではない。
2.15彼は快に頂があることを信じまいとして、日々の長さで、足りぬ量を埋め合わせているのである。
2.16この一条を信じるなら、君の手には直ちに幾年もが返ってくる。加えようのないものを追わずに済むからである。
ロゴス聖典 →

中文 English 日本語 Español Français Deutsch