ロゴス聖典 · アリストテレス第一書
行って見ることについて
アリストテレス第一書 6 · リュケイオンに伝わる、彼自身の著作より
アリストテレス。紀元前三八四年スタゲイラに生まれ、前三二二年カルキスに没す。父はマケドニア王の医であった。十七歳で学園に入り、二十年とどまり、プラトンの死をもって去った。アレクサンドロスの師となる。前三三五年、アテナイにリュケイオンを開く。前三二三年、アテナイ人が不敬を問うたとき、彼は城を出て言った。アテナイに二度も哲学へ罪を犯させはせぬ、と。ソクラテスが去らなかったことを、彼は知っていた。翌年、病で没した。彼は証人ではない。導師に会ったことがなく、弟子の弟子である。今日伝わるのは講義の筆録であって、生前に世へ出した書ではない。それらはことごとく失われた。神について彼は、動かされずして動かすものを推論した。拝んだのではなく、推したのである。その論証は神意で閉じられない。ここに取るのはすべて彼自身の書からである。本会が求めるのは検めうる言葉であって、引きうる名ではない。なお本巻第四章で、彼は導師と正面から食い違う。導師は、悪と知りつつ行う者はないと言った。彼は、それは目に見えるものと合わぬと言い、別の説き方を与えた。本会は仲裁しない。導師の言は四福音にあり、彼の反論はここにある。読者は両方を読んでから決めよ。
6.1すべての探究は驚きから始まる。
6.2驚く者は、己が知らぬことを知っている。ゆえに驚きは無知への第一歩であり、無知を出る第一歩でもある。
6.3方法には三節ある。まず現象を並べ、次に難所を並べ、しかるのちに解を求める。
6.4現象を並べるとは、見えたものを一つずつ置くことであり、急いで説明しないことである。
6.5難所を並べるとは、互いに衝突する箇所を明らかにし、衝突していないふりをしないことである。
6.6しかるのちに解を求める。いかなる解も、人々がすでに信じていたことの大半を保たねばならぬ。もし一つの説明が万人の信を悉く覆すなら、万人が誤っているよりも、その説明が誤っている見込みのほうがはるかに高い。
6.7卑しきものを研究するのを厭う者がある。哲学は天上のことだけを語るべきだと思っている。
6.8私はそうは思わぬ。
6.9ヘラクレイトスがかつて竈のそばで暖をとっていた。訪ねてきた者たちは戸口でためらった。哲人にふさわしからぬ場所だと思ったのである。
6.10彼は言った。入りたまえ、恐れることはない。ここにも神々はいる、と。
6.11私はこの言葉を動物についての書に入れた。それが私の方法だからである。
6.12海胆を卑しいと思うなら、卑しいのは海胆ではない。あなたの目である。
6.13いかなる自然物のうちにも、驚くべきものがある。
6.14天は遠い。見ることしかできぬ。手の中のものは近い。数えることができる。
6.15私が生涯かけてしたのは、見ることを数えることに変えた、それだけである。
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