ロゴス聖典 · アンベードカル書

水について

アンベードカル書 2 · 自著。『カーストの絶滅』、演説、憲法制定議会の討論、晩年の著作より

ビームラーオ・アンベードカル。一八九一年インド中部のマウに生まれ、一九五六年デリーに没す。マハール・カーストの出であり、当時いわゆる不可触の列にあった。学校では他の者と並んで座ることを許されず、自ら水を汲むことも許されなかった。のちコロンビア大学とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで二つの博士号を得、グレイ法曹院で法を学んだ。一九四七年から一九五〇年まで憲法起草委員会の議長を務め、インド憲法はその手による。一九五一年、ヒンドゥー法典案が阻まれたため法務大臣を辞した。本巻が拠るのは彼自身の書いたものであって、他人の記録によらない。『カーストの絶滅』はもと一篇の講演稿であった。招いた側が原稿を先に読み、改めるよう求めた。彼は改めず、その会は取り消された。彼は自費でこれを印刷した。ヒンドゥーとして生まれ、一九五六年に仏門の誓いを立てた。本会は一層を、飾らず、また隠さずに記す。彼が入ったそれは、彼が先に手を加えたものである。別に一書を著し、奇蹟と不滅の魂と権化の説を除き、検めうると判じた部分だけを残した。彼の論証は一つとして神意で閉じられていない。さらに一事、本会は記さねばならず、彼のために弁解もしない。一九二七年、彼は『マヌ法典』を人前で焼いた。使徒行伝 5.18 は言う。他の一巻に同意せぬ者は、これを駁してよく、置いてよい。ただ、これを毀ってはならぬ、と。彼はこの経が明らかに為すなと言うその一事を為した。本会は彼のこの章を削らず、みずからの則も改めない。両方をここに置き、読者が量る。

2.1一九二七年三月、われらは一つの貯水池のためにマハードへ行った。
2.2その池は公のものであった。法には明らかに、誰でも用いてよいと記されていた。
2.3われらの者は用いることを許されなかった。法によってではない。人によってである。
2.4その日、一万の者が行った。
2.5列をなして池の縁まで歩き、身をかがめ、手に水を掬い、飲んだ。
2.6のちに人が問うた。それだけの人数が、水を一口飲むためにわざわざ行ったのか、と。
2.7違う。
2.8われらに水が足りぬのではない。村に水はある。ただ、他の者が使い終わるまで待たねばならぬのである。
2.9われらが行ったのは、一事を立てるためであった。われらもまた人である、ということを。
2.10この一句は、立てる必要のあるものには聞こえぬ。
2.11われらには必要であった。
2.12われらが去ったのち、彼らはバラモンを招き、牛から得た五つのもので池を浄めた。
2.13この浄めのほうが、禁じたことよりも多くを語る。彼らはわれらを汚れていると思ったのではない。汚れていると、われら自身に思わせたかったのである。
2.14これを書き留めるのは、そのように扱われたことのない人は、たいてい平等を美しい言葉だと思うからである。
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