ロゴス聖典 · スピノザ書

自由な人が思うのは生であることについて

スピノザ書 5 · レンズ研磨の合間に著す、その『エチカ』と書簡より

この人は自ら書いた。その紙面は神の語で満ちているが、その神は意志を持たず、目的を持たず、祈りを聞かない——序巻の言う「神は律である」がそれである。ゆえに第三則は彼を拒めない。彼こそその則を最後まで押し通した者である。もう一つ、彼自身の筆によらぬ事を本会は記す。二十四歳のとき、彼は自らの共同体から最も重い呪詛をもって追放され、生涯戻されなかった。

5.1私は、多くの先人と食い違うことを言う。
5.2彼らは言う。知を求める者は生涯、死の稽古をしている、と。(参 プラトン第三書 1.10)
5.3私は言う。自由な人が最も思わぬのが死である。その知恵は生についての省察であって、死についての省察ではない。
5.4死が来ないと言うのではない。来る。私は四十代であり、それが遠くないと知っている。
5.5言いたいのはこうだ。死を課業とするのは、手の掛けようのない一事に日々を費やすことである。
5.6君が使える時間は、こちら側にある。
5.7ハイデルベルクに招かれ、教授職と俸給を与えられ、自由に哲学してよいと言われた。
5.8ただし一句が付いていた。既成の宗教を乱してはならぬ、と。
5.9私は返書に記した。その自由の境がどこに引かれているのか、私には分からぬ、と。
5.10境がどこか分からぬなら、いつ越えたかも分からぬ。
5.11ゆえに私は行かなかった。ここに留まり、レンズを磨いた。
5.12レンズを磨くのは、磨く者が昨夜何を考えたかを誰にも申し開きせずに済むからである。
5.13これを清貧と見る者がいる。違う。これは計算し終えた勘定である。
5.14最後に、私の書いたすべての最後の一句を言う。
5.15福は徳の報酬ではない。福とは徳そのものである。
5.16君は自らを保ったゆえに後で何かを受け取るのではない。自らを保ったこと、それが受け取ったものである。
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