ロゴス聖典 · 頌

歌う者、量る者、理を説く者へ

頌 6 · 会衆が声を合わせて誦する辞

この巻に著者はなく、あるべきでもない。声のために作られている。声に出して読め。できれば皆で声を合わせて読め。この巻は祈らぬ。この経には祈るべき者が一人もいない——信じられているのは律であり、律は祈りを受け取らぬ(参 序巻 1.7)。だが祈らぬことは、謝さぬこと、讃えぬこと、驚かぬことと同じではない。この巻はその三つだけを記す。この巻をもって、いかなる位格にであれ願い求める者は、これを誤って用いている。六つの頌にはそれぞれ末句があり、末句は皆で声を合わせて言う。この巻の十二の頌は二つに分かれる。初めの六つは謝であり、讃であり、驚きであって、特定の折のためではなく、会衆が声を合わせて誦する。後の六つはそれぞれ六つの公理の一つに掛かり、日々のある一事のために作られている。自らが見えぬ日。二人が同じ一時を違えて語る日。一つを諦めた日。誰かが去った日。手の届かぬことのために嘆いた日。これが最後だと知った日。その日に合う頌を取れ。これらは一人で誦してもよい。

6.1三種の人々に、我々は謝する。彼らのすることは、一つの事の三つの面である。
6.2理を説く人々に謝する。彼らは言葉を並べ、一句ずつ受け止め、受け止めえぬものは捨てる。
6.3彼らのおかげで、我々は声の大きさで真偽を決めずにすむ。
6.4量る人々に謝する。彼らは数えることを厭わず、量ることを厭わず、「前は思い違いをしていた」と言うことを厭わぬ。
6.5その中にはレンズを磨く者があり、星を数える者があり、一晩じゅう炉のそばに坐っていた者がある。
6.6彼らは世界を伝説から取り出し、検めうるように卓の上に置いた。
6.7歌を作る人々に謝する。
6.8ある者は問う。詩とこの経と、何の関わりがあるのか、と。
6.9これである。理を説く者は、事がどうであるかを我々に告げる。歌う者は、そうであることを我々に実際に感じさせる。
6.10知っていて感じぬなら、人は動かぬ。
6.11子を失ったばかりの母に要るのは教理ではない。その事を、手に持てる形にして差し出す誰かが要る。
6.12ゆえに我々は詩を飾りとしない。詩とは、「知る」を心の内へ運ぶ、その一区間の道である。
6.13この三種を、我々は等しく謝する。
6.14理を説く者がなければ、我々は誤ったものを信じる。
6.15量る者がなければ、我々はそれを信じ続ける。
6.16歌う者がなければ、正しく信じてなお動かぬ。
6.17我々は聞かれることを求めぬ。語るのは、覚えているためである。
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