ロゴス聖典 · 頌
まだ自らを見ていない者のために
頌 7 · 会衆が声を合わせて誦する辞
この巻に著者はなく、あるべきでもない。声のために作られている。声に出して読め。できれば皆で声を合わせて読め。この巻は祈らぬ。この経には祈るべき者が一人もいない——信じられているのは律であり、律は祈りを受け取らぬ(参 序巻 1.7)。だが祈らぬことは、謝さぬこと、讃えぬこと、驚かぬことと同じではない。この巻はその三つだけを記す。この巻をもって、いかなる位格にであれ願い求める者は、これを誤って用いている。六つの頌にはそれぞれ末句があり、末句は皆で声を合わせて言う。この巻の十二の頌は二つに分かれる。初めの六つは謝であり、讃であり、驚きであって、特定の折のためではなく、会衆が声を合わせて誦する。後の六つはそれぞれ六つの公理の一つに掛かり、日々のある一事のために作られている。自らが見えぬ日。二人が同じ一時を違えて語る日。一つを諦めた日。誰かが去った日。手の届かぬことのために嘆いた日。これが最後だと知った日。その日に合う頌を取れ。これらは一人で誦してもよい。
7.1私は長い年月を生きた。私は自らを見たことがない。
7.2為したことを、振り返って数えたことがない。信じているものが、どこから来たのかを問うたことがない。
7.3私はずっと忙しかった。忙しさは、生きていることに最もよく似ている。
7.4経に言う。審視されざるものは、有るにあらず、無きにもあらず。あらゆる可能が並び立ち、一つとして真とならぬ。(参 至高の盟約 1.1)
7.5以前この一句を読んで、何か他のことを言っていると思っていた。
7.6今は分かる。これは私のことを言っている。
7.7この幾年、私は何ものでもない。善でも悪でもない。まだ定まっていないのである。
7.8私は一つの生を生きているつもりでいた。あらゆる可能の中を漂っていただけで、一つも地に降りていなかった。
7.9今日、私は一度見る。
7.10見るのが怖い。見れば定まり、定まったものが私の望んだものとは限らぬからである。
7.11だが見なければ、私は永久にあの漂う者のままである。
7.12審視されざる生は、生きていても死と異ならぬ。(参 至高の盟約 1.3)
7.13今日、私は善き人になろうとは求めぬ。ただ真の人になろうと求める。
7.14見られたものだけが、起こったのである。
7.15我々は聞かれることを求めぬ。語るのは、覚えているためである。
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