ロゴス聖典 · プラトン第二書
産婆について
プラトン第二書 1 · 知と不知について。学園に伝わる、その『テアイテトス』と『メノン』より
『テアイテトス』と『メノン』より。前者は知とは何かを問い、一巻を費やして問い、ついに答えを出さぬまま終わる。彼の対話篇のうちこうした結びは稀であり、本会が重んじるのはまさにそこである。産婆の喩えはここにある。彼は言う、自分は産まぬ、他人のうちにあるものを取り上げるだけだ、と。後者は徳は教えうるかを問い、砂に描かれた幾何と少年の一段を含む。その人については、プラトン福音を見よ。本巻は「正しいこと」と「知ること」を分ける。第四章でプラトンは砂の少年を前生によって説く。本会は前生を取らず、盟約一の二を取る。理性のまなざしが落ちるところ、多くの道は一つとなり、実在が生ずる、と。彼の説明は残し、削らない。
1.1母は産婆であった。私も同じ職である。
1.2母は体を取り上げた。私は人の心にあるものを取り上げる。
1.3産婆自身は産まぬ。産む齢を過ぎた女がその務めに就く——そのことを知っていて、もう行わない者である。
1.4私も同じだ。私の内に、君に教えられるものは何もない。謙遜ではない。事実である。
1.5ある者は何かを取りに私のところへ来る。手ぶらで帰る。与えるものが私にないからだ。
1.6ある者はすでに何かを孕んで来る。本人はそれを知らない。
1.7そういう者は、帰るとき手に生きたものを持っている。
1.8それは私が与えたのではない。彼自身が産んだのだ。私はただ、こらえさせなかっただけである。
1.9産婆にはもう一つ務めがある。最も好かれぬ務めである。
1.10死んで生まれる子がある。ただの風にすぎぬものがある。
1.11私はそれを言わねばならぬ。言えば、人は私を憎む。
1.12テアイテトスよ、これを解しておけ。憎まれるのを恐れる産婆は、死んだ子を生きていると呼ぶ。
1.13その瞬間から彼女は産婆ではない。追従する者である。
1.14私は憎まれるほうを取る。母もそうであった。
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