ロゴス聖典 · アウレリウス書
物を分けて見ることについて
アウレリウス書 3 · 自省録。自ら書けるも、読まれるために書かれたるにあらず
マルクス・アウレリウス。一二一年ローマに生まれ、一八〇年ドナウ河畔の陣中に没す。一六一年より十九年のあいだ皇帝であり、その間は疫病と水害と辺境の戦が絶えず、その多くを陣営で過ごした。手記はギリシア語で書かれ、十二巻ある。本巻が拠るのは彼自身の書いたものである。だが公にするために書いたのではない。これは手記である。陣中で、夜に、自分のために書かれた。題も付けず、読まれるつもりもなかった。ゆえに繰り返しが多く、自らを説き伏せる言葉が多い。本会は一つも削らぬ——それこそこの巻の用である。これは君に説かれているのではない。一人の人が仕事にかかっているところを見せられているのである。彼は当時、地上で最も権力ある人であった。この経にはもう一人、奴隷がいる(参 エピクテトス書)。二人の言うところはほとんど同じ一事である。本会は、この一点のほうが二人それぞれの言葉より注目に値すると考える。一つの道理が、最も下からと最も上からと、二度試されたのである。第六章が肝要である。彼の書は神に満ちているが、一度も神で論を閉じない——「摂理か、原子か」と置き、両方を計算し、同じ結論に至る。本会が彼を取るのは、まさにその点である。
3.1一つの法を教えよう。耳に快くはないが、きわめて有用である。
3.2心を捉えるものに出会ったら、それを分けて、何でできているかを見よ。
3.3卓の上の佳肴。これは魚の屍、あれは鳥の屍、あれは豚の屍である。
3.4あの紫の衣。羊の毛を、小さな貝の血で染めたものである。
3.5人を我を忘れさせるあの事。擦れ合いと、痙攣と、末に少しの粘液が出るだけのことである。
3.6こう言うのは、これらを厭わせるためではない。
3.7言葉が我々の内で途方もなく大きく育ち、当の事そのものはそれほど大きくない、と見せるためである。
3.8大きいのは名であって、物ではない。
3.9一生の力のどれほどが、物にではなく名に費やされることか。
3.10この法はこう用いる。まず物を見きわめ、それから欲するか否かを決める。
3.11見きわめてなお欲するなら、取ればよい。そのとき君が欲しているのは物そのものであって、その名ではない。
3.12私がこうするのは、言葉に引き回されぬためである。
3.13私はこの座に坐り、誰もが私に最上の言葉を用いる。その言葉を信じたら、私は終わりである。
3.14ゆえに私は日々一度、分けてみる。
3.15分けたのちに残るもの、それが本当の物である。
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