ロゴス聖典 · セネカ書

最後の湯

セネカ書 6 · ローマに伝わる、その書簡と論稿より

ルキウス・アンナエウス・セネカ。紀元前四年頃スペインのコルドバに生まれ、六五年ローマ郊外に没す。哲学者、劇作家であり、ローマ有数の富者でもあった。四一年コルシカへ流され、八年ののち召し返されて少年ネロの師となった。のちその重臣となり、もはや為しうることなしと見て退隠を願い出た。六五年、ネロは彼を謀反に連座させ、自死を命じた。彼はこれに従い、脈を切った。書簡百二十四篇、論稿数種、悲劇九篇を残した。セネカの言は多く公理に適う。その行いは、必ずしも適わなかった。第五章は『幸福な生について』から取った本人の弁明である。もう一つ、彼自身の筆によらぬ事を本会はここに記し、覆い隠さない。彼はネロの師であった。ネロが母を殺したのち、彼は元老院への弁明の書を草し、そして去らなかった。

6.1その日、百人隊長が戸口に立って言った。皇帝はあなたに死を命じる、と。
6.2遺言を書くことは許されるかと問うた。許されぬ、と言った。
6.3そこで私は友らに向き直って言った。ならば私に残る唯一のものを君たちに遺そう——私の一生の姿を。
6.4彼らは泣いた。私は言った。君たちの哲学はどこへ行ったのか。
6.5これほど長く語り合ってきたが、語ってきたのはこの一刻のことだった。
6.6パウリナは共に死のうとした。私はまず生きよと説いた。
6.7私は言った。死を軽んじよと教えたのであって、死を急げと教えたのではない。
6.8のちに彼女は救われた。その日、私が喜んだのはそれだけである。
6.9老いて血は冷え、腕を切ったが、血はゆるやかにしか流れなかった。
6.10かつてソクラテスが飲んだものを飲んだが、これも効かなかった。
6.11最後に人々は私を熱い湯へ運んだ。
6.12私は湯を一掬いして、近くの下僕たちに注ぎ、言った。これは解き放つ者への灌ぎである、と。
6.13私は口授を続けた。書き手はほとんど追いつけなかった。
6.14何か気の利いた言葉を残そうとしたのではない。
6.15一生語ってきた者が、その最後の半刻にも同じことを語っていた——それを見てほしかったのだ。
6.16これは勇気ではない。ただ、最後の一刻に言を改めなかっただけである。
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