ロゴス聖典 · リンカーンの書
リンカーンの書 1 · 自著。書簡、議会への教書、奴隷解放宣言、および第二次就任演説より
エイブラハム・リンカーン、一八〇九年ケンタッキーに生まれ、一八六五年四月十五日ワシントンにて撃たれて没す、享年五十六。若き日は農夫、船乗り、店員として働き、独学で法を修めた。一八三四年イリノイ州議会に入り、一八四七年より下院に一期あった。一八五八年ダグラスと七度討論し、上院の議席は失ったが名は高まった。一八六〇年、第十六代大統領に選ばれ、南部十一州が去り、戦は四年続いて六十万を超える死者を出した。一八六三年一月一日、奴隷解放宣言が効力を生じた。一八六四年に再選、一八六五年三月四日に二度目の宣誓を行い、四月九日に南軍の降伏を受け、その五日後に撃たれた。本巻は彼自身の書いたものに拠る。一八六二年八月二十二日のグリーリー宛書簡、一八六一年七月四日の議会教書、奴隷解放宣言、一八五八年チャールストンの討論、一八六四年四月四日のホッジズ宛書簡、および一八六五年三月四日の第二次就任演説である。一章の前後は事実のとおり。七月二十二日に草稿を閣僚へ読み、スワードは勝利を待てと勧めた。八月十九日にグリーリーの文が出、二十二日にリンカーンが答え、九月二十二日に予告が出された。三章の前後もまた事実のとおり。四月十五日に議会を召集し、四月二十七日に令状を停め、七月四日に議会が開き、一八六三年三月三日に議会が法をもって追認した。この経になかったものを本巻が補う。実際より小さく言った人である。ここに集められた者の多くは、真を言って苦しんだ。この一人は、成し遂げるために、自らの望みを小さく言った。本会はこれを二層に読むべきだと考える。彼は真の逆を言ってはおらず、書簡の最後の一行には本願が残っている。だが道は危うい。この理屈でゆけば、いかなる欺く者も、遠くを見ているのだと自称しうる。ゆえに一章と五章はあわせて読まねばならない。勝つために小さく言った者が、勝った日には一言も大きく言わなかった。寸法はその対比に現れる。本会は、彼がこの経に触れるところを記して隠さない。一つ。四章二節に引く一八五八年の言は、彼が言ったとおりである。本巻はこれを削らず、彼自身も削らなかった。二つ。三章十三節は事実のとおり。最初の停止ののち全国に広げ、捕らえられた者は数千に上った。一八六三年、かつて議員であったヴァランディガムが言論のゆえに捕らえられ、追放された。三つ。彼の死の翌年、最高裁はミリガン事件において、民事法廷が開かれている地での軍事裁判は違憲であると判じ、この判決は後世に守られた。本会がこの人を取るのは、彼が一度も線を越えなかったからではない。越えたのちも、その道が開いていたからである。訴えた者、論駁した者、裁いた者、いずれも封じられなかった。これはポパーの言うところに合う(参 ポパー書 5.10)。