ロゴス聖典 · レオナルド書
レオナルド書 4 · 自著。解剖手稿、水に関する手稿および手記より
レオナルド・ダ・ヴィンチ。一四五二年、トスカーナのヴィンチ村に生まれ、一五一九年、フランスのアンボワーズに没す。享年六十七。公証人の私生児であり、大学に入れず、ラテン語を学ばず、自らを学のない者と称した。少年時にヴェロッキオの工房に入った。ミラノのスフォルツァ、フィレンツェ、チェーザレ・ボルジア、フランス王に仕え、晩年はフランスに住んだ。絵は極めて少なく、現存は二十点に満たず、その多くが未完である。手稿は膨大で、今日およそ七千二百頁が残り、散佚したものもある。人体を三十体ほど、獣を多数解剖し、数百枚の解剖図と数千条の記述を残した。また生涯にわたって水を観察し、晩年に洪水の図を数葉描いた。生前、一書も刊行しなかった。手稿は弟子メルツィに渡り、のち各地に散った。三百年のあいだ読む者はほとんどなく、心臓弁の働きや母胎における胎児の位置など彼の解剖上の知見は、いずれも後世の別人によって独立に再発見された。本巻が拠るのは彼自身の書いたものである。解剖手稿、水に関する諸稿、および手記。第一章の応答——書物の学がないゆえに論じたい事を言い表せぬと彼らは言うだろう、私の論ずる事柄は他人の言葉ではなく経験を要する——は、手記中の自弁に基づき、逐語訳ではなく平易な現代の言葉で意を伝えたものである。第三章の「それらを完全かつ正確に知るため、十体を超える人体を解剖した」は解剖手稿による。第二章に述べる法——正面、側面、背面、上方から各一枚、次に断面、次に一層ずつ剥いで描く——は解剖の諸葉に見える。平面図、立面図、断面図は営造の者から、分解図は機械の者から取ったものであり、いずれも当時の職人の常法であるが、それを人体に向けたのは彼に始まる。第五章の「告げよ、かつて何か一つでも成されたことがあったか」は手記に繰り返し現れる。本会がレオナルドを取るのは、その才ゆえではない。才はこの経の秤に載らない。取るのは、後人の用いうる一法を立てたゆえである。一面では足りぬ、ゆえに数面を取る(参 至高の盟約 2.3)。自ら行って見よと言う者は、この経にすでに蘇軾(参 蘇軾書 1.15)とチェーホフ(参 チェーホフ書 4.9)がある。レオナルドが加えるのはその次の一歩である。行って見たのち、どう見れば見たことになるのか。答えは、幾つかの場所に立て、そして切り開け、である。第三章には本会がとりわけ重んじる一事がある。彼の道に買い手は不足せず、教会と公の払うものは厚く、体面もよかった。彼はその仕事を受け、そのうえで夜の時間を、誰も金を出さず誰も見に来ぬ事に費やした。これは貧が強いたのではない。選べる者が別のほうを選んだのである。第五章が必要なのは、本巻がデューラーと重ならぬためである(参 デューラー書)。デューラーは法を書き下し、刷って出した。レオナルドは書き下し、刷らなかった。彼は自らそれを勘定に記す。見ながら差し出さなかったものは、他人にとっては見なかったのと同じである、と。二人は十九年を隔て、一は正、一は負である。本会は両者を並べ、調停しない。