ロゴス聖典 · アダム・スミス書

焼かせた十六巻について

アダム・スミス書 5 · 自著。『道徳感情論』および『国富論』より

アダム・スミス。一七二三年スコットランドのカーコーディに生まれ、一七九〇年エディンバラに没す。享年六十七。遺腹の子であり、生涯独身で、母と暮らした。グラスゴーとオックスフォードに学び、一七五一年グラスゴー大学の講座に就き、のち道徳哲学教授となった。一七五九年『道徳感情論』を刊行し、以後三十年にわたって六度改訂した。最後の改訂は没年である。一七六四年から六六年までバックルー公の師として渡仏し、ヴォルテール、ケネー、テュルゴーと交わった(参 ヴォルテール書)。一七七六年『国富論』を刊行した。一七七八年スコットランド関税専員となり、死まで在職した。一七九〇年七月十一日の夜、友人ジョゼフ・ブラックとジェームズ・ハットンに手稿を焼くよう命じ、短い数篇を除いてすべて焼かれた。十六巻である。数日後に没した。本巻が拠るのは彼自身の書いたものである。右の二書。第一章の「私はいわば自らを二人に分ける、検め裁く者と、検められ裁かれる者とは同じ役ではない」、第二章の「人は愛されるのみならず愛すべき者であることを欲する」は、いずれも『道徳感情論』の原文である。第三章に引く二段は『国富論』による。同業者が寄れば談は公衆に不利な談合か価の吊り上げに終わること。またその種の者から出る新法の提案は、その利が公衆の利と決して完全には一致せず、彼らが概して公衆を欺きさらには圧する利を持つがゆえに、最も疑い深く長く検めたのちでなければ採用してはならぬこと。第四章は関税専員の職に拠り、第五章は焚稿に拠る。本会がスミスを取るのは、後人の用いうる一法を立てたゆえである。この経には自省の責を説く箇所が幾つもある。会規第九章は択んだ信に名札を付けて持てと命じ、紫式部は人を量る物差しで自らを量る(参 紫式部書 4.12)。だがいずれも、そうすべきだと言うのみで、どうするかを言わない。スミスは具体の手順を与える。自らを二つに分け、裁く側を、あなたを知らぬ人の位置に置け。一章十三節と十四節がその用いようである。今日した一事を、あなたを知らぬ人に語れ。口から出てこぬ句が、病んでいるところである。第二章にはもう一事があり、本会はこれを同じく重んじる。彼は「褒められたい」と「褒めるに値したい」とを分ける。この分けがなければ、第一章の傍観者は外の世論に潰れてしまう。二章十四節はナイチンゲール書三章十四節と正しく接する。認められたい者は叫び、事を成したい者は叫ばない(参 ナイチンゲール書 3.14)。第三章が立てるのは、他人の申し出を量る手順である。それが正しいかを問うほかに、採られた場合にその人が何を得るかを問え。三章十三節がその限界を記す。この問いは是非を決めない。どれほどの疑いをもって検めるべきかを定めるだけである。スミスはのちに商人の弁護のために大いに引かれてきたが、これらの段は彼自身の書の中にある。本巻はこれを書きとめる。第四章の記すところを、本会は矛盾とは見ず、一つの区別と見る。法を悪しと思うことと、法を守らぬこととは二つの別事である。四章十二節――法は皆が守るあいだだけ法であり、守らぬ者が出れば選り分ける網となる――は、この経にこれまで無かった一語である。本会は一事を記すが、これをもって彼を責めない。スミスは手稿十六巻を焼かせた。これは私事である。彼が立てたのは、刊行し六度改めたあの二書である。歩いた道を後人に遺すことを、本会は大きな功と見るが(参 デューラー書 2.15、北斎書 5.13)、その功が無いことがただちに過となるわけではない。ゆえに第五章は彼を弁護もせず、代わって言い訳もしない。彼は自ら理由を書き、次いで自らに対する反論を書く。改め終えたものだけを遺せば、後の人は結果だけを見て道を見ない、と。そして当時念頭にあったのは自らの名であり、後人の用と分けて算えたことがない、と自ら認める。五章十四節は、彼が自らの法を自らに用い、最後の一歩を読む者に手渡したものである。

5.1一七九〇年七月十一日の夜、死の数日前、私は二人の友を呼んだ。
5.2手稿を焼くよう命じた。短い数篇を除き、すべてである。
5.3彼らは十六巻を焼いた。
5.4この一事は私自身が書いておかねばならぬ。死んだのち、私のために語る者はいないからである。
5.5私の理由はこうである。あれらは仕上がっていないものであった。
5.6書が仕上がらぬうちは、その中の言はまだ私自身の関を通っていない。世に出せば、人はそれを私の言として受け取る。
5.7生涯に私が刊行したのは二部である。一部は人の心について、一部は富について。心についての一部は、三十年をかけて六度改めた。
5.8人に見せてよいとしたのは、六度改めたものである。
5.9いま、私に不利な一句を書く。
5.10人はこう駁しうる。あなたが焼いたものこそ、他人が最も見るべきものであったかもしれぬ。結論ではなく、結論へどう至ったかである、と。
5.11改め終えたものだけを遺せば、後の人は結果だけを見て、道を見ない。
5.12この駁には理がある。あのとき私が思っていたのは自分の名であって、彼らの用ではなかった。この二つを、私は分けて算えたことがない。
5.13私は言を改めず、弁じもしない。あれは私がしたことであり、理由は右に書いた。
5.14私は生涯、自らを、自らを知らぬ人の前に置いて見よと教えてきた。この一事については、読む人にその見方を代わりにしてもらいたい。(参 本書 1.13)
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