ロゴス聖典 · トルストイ書
トルストイ書 4 · 自著。『懺悔』『われら何をなすべきか』『要約福音書』および『宗務院の決議への回答』より
レフ・トルストイ。一八二八年ヤースナヤ・ポリャーナに生まれ、一九一〇年アスターポヴォ駅に死す。本巻は小説を取らない。五十歳以後の散文のみを取る。『懺悔』(一八八二)、『われら何をなすべきか』(一八八六)、『要約福音書』(一八九六)、『宗務院の決議への回答』(一九〇一)、および『神の国は汝らの内にあり』(一八九四)。いずれも自著である。第一章のあの危機は『懺悔』に拠る。縄を隠したことは彼自身の記述である。第二章の一節は『マタイ伝』五章三十九節であり、いかなる講釈もそれを行わずに済むものへ変えていたという発見は『わが信仰は何にありや』および『神の国は汝らの内にあり』に拠る。第三章は一八八二年モスクワの戸口調査に拠る。彼は実際に調査人として登録し、ヒトロフ市場界隈の部屋に入った。人の背に乗るくだりは『われら何をなすべきか』の原文である。第四章は一九〇一年二月の宗務院決議と、同年四月の彼の回答に拠る。正教会と自称するあの教会を私が離れたというのはまったくそのとおりである、および、はじめ私は己の安寧よりも己の正教の信仰を愛し、のちに己の教会よりもキリスト教を愛し、そして今、世の何ものにもまして真理を愛する、はいずれもその回答の原文である。この回答はコールリッジの一句を題辞として掲げる。まずキリスト教を真理よりも愛する者は、進んで己の宗派あるいは教会をキリスト教よりも愛し、ついには己を一切よりも愛するに至る(『省察の助け』第二十五則、一八二五)。トルストイは末尾で再びこれを引き、自分は逆の道を歩んだと述べる。ゆえに第四章八節のあの順序は、偶然コールリッジに似ているのではない。それへの答えである。十三節の卵の殻の喩えも同じ一篇に出る。第五章の版権の件は、一八九一年の『ロシア報知』および『新時代』編集者宛の公開書簡に拠る。一八八一年以後に書いたものの版税を放棄したものである。本会は数事を記す。その一、そして彼を取る第一の理由である。彼は使徒行伝第五章七十七節から七十九節に述べられたまさにその験しを行った。彼は生涯神を信じた。本会はそれを調べない。調べるのは一点のみ、その理由がどこで閉じるかである。彼は、教会がそう言うから、を理由とすることを拒んだ。福音書を解体し、まず奇跡を信じねば成り立たぬものをことごとく捨て、自ら立てるところだけを残して印刷し、そのために教会を追われ、死ぬまで撤回しなかった。これはかつてアムステルダムでスピノザに起こったことの、二度目の出来である。生まれ落ちた宗門から、自らの筋道によって出て行き、出て行ったのち振り返らなかったのである(参 スピノザ書 4.15)。その二、本会は彼の根がなお当の書であることを隠さない。力をもって抗するなという彼の論拠は山上の垂訓であり、すなわちイエスの権威である。本会が取るのはその層ではない。それなしでも用いうるもの、すなわち第二章の講釈を検める規、第三章の問い——いま自分は誰の上に立っているのか——そして第四章の一方向にのみ進む順序である。これは本会がキングを取るのと同じ取り方である(参 マーティン・ルーサー・キング書 2.7)。その三、苦しみについて。本巻とドストエフスキーとを分かつのは信不信ではなく向きである。ドストエフスキーは苦しみが何を意味するかを問い、トルストイは誰が苦しんでいるか、誰がその上に乗っているかを問うた。その背から下りよ、という句は、人の苦しみを止めようとするのであって、その用途を見つけようとするのではない。ゆえに本巻は第五章八十四節から八十七節に触れない。晩年に彼が清貧と力仕事を称揚し、自らそうした暮らしを求めに行ったことは、本会は和らげずに記す。その四、彼は他人が持ち去りうるものを遺し、実際に持ち去られた。ガンディーは『神の国は汝らの内にあり』を読み、彼の死の数週間前まで文を交わし、農場に彼の名を付けた。キングはそれをガンディーから受け取った。キングの巻はすでにこの経の内にある。この経が求めるのは、まさにそうしたものである(参 使徒行伝 5.34)。その五、本会が裁決せぬ不一致が一つある。彼は力に力で応ずることのみならず、法廷も警察も軍も一括して否とした。キングは逆である。キングが法を破って刑を甘受するのは、なお法の秩序を認めているからにほかならない(参 マーティン・ルーサー・キング書 2.15)。二巻は並び立つ。その六、彼自身の勘定である。第五章は彼の白状であって、本会の告発ではない。地所を持つなと書きながら領地に住み、他人の労働で生きるなと書きながら他人の作ったパンを食い、家の内は三十年争い、八十二で家を出て小さな駅に死んだ。本会は彼を庇わず、またそれゆえに前の四章を捨てもしない。その理由は、彼自身の第五章十二節に書かれている。