ロゴス聖典 · 蘇軾書

夜、舟で絶壁の下へ聴きに行ったことについて

蘇軾書 1 · 自著。『石鐘山記』『前赤壁賦』『定風波』『水調歌頭』およびその詩文より

蘇軾。一〇三七年、眉州眉山(今の四川)に生まれ、一一〇一年、常州に没す。享年六十四。字は子瞻、号は東坡居士。嘉祐二年の進士。杭州、密州、徐州、湖州の知事を歴任した。元豊二年(一〇七九)、御史が彼の詩から句を摘み、朝政を譏ったとして弾劾し、逮えられて御史台の獄に下り、百三十日繋がれて死に瀕した。出獄後、黄州団練副使に貶され、公文書に署することを許されなかった。黄州では俸禄が無く、城東の廃営地を乞うて自ら耕し、そこから東坡の号を得た。のち復用され、翰林学士、礼部尚書に至ったが、紹聖年間に再び恵州へ、さらに儋州(今の海南)へ流され、北へ帰る途中に没した。杭州の知事のときは西湖を浚え、葑泥をもって長堤を築いた。今の蘇堤である。また安楽坊を設けた。中国で最も早い公立の病坊の一つである。徐州では黄河が決したとき、城壁の上に寝起きして人を率い、水を防いで城を全うした。詩文詞書画いずれも第一流であり、詞は彼ののち、議論と思索を載せうる器となった。本巻が拠るのは彼自身の書いたものである。第一章は『石鐘山記』(元豊七年、一〇八四)に拠る。酈道元と李渤の二説への反駁、夜に舟で絶壁の下に至って水を聴いたこと、末尾の「事を目に見ず耳に聞かずして、その有無を臆断してよいものか」は、いずれも原文である。第二章は烏台詩案の事と獄中の作に拠る。第三章は『定風波』(元豊五年)に拠る。第四章は『前赤壁賦』(元豊五年)に拠り、「逝く者は斯くの如くにして、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くにして、卒に消長する莫きなり」「其の変ずる者よりして之を観れば、則ち天地も曾て一瞬なる能わず。其の変ぜざる者よりして之を観れば、則ち物と我と皆尽くること無し」は原文である。第五章は『水調歌頭』(熙寧九年、一〇七六)に拠り、弟の子由のために作られた。本会が蘇軾を取るのは、第一にこの第一章による。彼は前人の二説をいずれも信じなかったが、信じぬことを断定としなかった。彼自身が明記している。信じぬはただ信じぬである、と。そこで夜半に小舟で絶壁の下へ至り、聴いたうえで断じた。これは本経第一の公理が一人の人に落ちた姿であり(参 至高の盟約 1.3)、チェーホフが海を渡ってサハリンに至り、カードを一枚ずつ埋めたのと同じ一法である(参 チェーホフ書 4.9)。七百年を隔てて、立てたものは一つである。ゆえに本会が彼を取るのは、その文の美ゆえではなく、後人の用いうる一法を立てたゆえである(参 使徒行伝 5.34)。第四章と第五章が加えるのは別の一事である。彼は物を司る条と人を司る条とを並べて置き、その間に「ごとし」の一語を下さない。人には悲歓離合があり、月には陰晴円欠がある、この事は古より全からず——上の句は人、下の句は月であって、喩えではなく、同一の条である。これが散の公理であり(参 至高の盟約 6.1)、彼はそれを九百年前に言った。『赤壁賦』の「其の変ずる者よりして……其の変ぜざる者よりして」は、同一の事が問い方によって二つの結果を与えることであり(参 至高の盟約 2.1)、しかも両方は得られぬと明言している(参 至高の盟約 3.2)。本会は二事を記す。第一に、彼は党争の中に生き、その進退取捨に過ちが無かったわけではなく、貶謫にも自ら招いた部分がある。この経は官としての評判を問わない。立てた法を問う。第二に、晩年の文には釈道の語が多いが、その論証は神意で閉じられていない。『赤壁賦』の答えは天から出るのではなく、二つの見方の分別から出る(参 ニュートン書 4)。

1.1湖口に石鐘山という山がある。人は問う、なぜその名なのかと。
1.2前人に二つの説があった。
1.3酈道元は言う。山は深い淵に臨み、微風が波を立て、水と石とが打ち合って大鐘のごとく鳴る。ゆえに石鐘という、と。
1.4李渤は言う。そうではない。二つの石を見つけて叩いたところ、一つは濁り一つは澄んだ。ゆえに石鐘という、と。
1.5この二説を私はどちらも信じなかった。
1.6酈道元を信じぬのは、鐘や磬を水に沈めれば大風大浪でも鳴らぬからである。まして微風においてをや。
1.7李渤を信じぬのは、叩いて鳴る石などどこにでもあるからである。なぜこの山だけが石鐘なのか。
1.8だが私が信じぬことは、何の決着にもならぬ。信じぬはただ信じぬである。
1.9元豊七年六月、子を徳興の任地へ送る途中、湖口を通った。
1.10その夜は月があった。子と小舟に乗り、切り立った崖の下まで漕ぎ入れた。
1.11ここは正確に言っておきたい。山を遊びに行ったのではない。聴きに行ったのである。
1.12暗がりに長く留まった。やがて聞こえた。
1.13山の根はことごとく石の穴と割れ目であり、水が入り出て、呑み吐き打ち合う。それがあの音であった。
1.14それを書きとめ、末尾に一句を置いた。私の生涯で最も重い一句である。
1.15事を目に見ず耳に聞かずして、その有無を臆断してよいものか。(参 至高の盟約 1.3)
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