ロゴス聖典 · 稲盛和夫の書

人間として何が正しいかについて

稲盛和夫の書 3 · 自著。『京セラフィロソフィ』『生き方』および歴年の講演と盛和塾での講話より

稲盛和夫、一九三二年鹿児島に生まれ、二〇二二年八月京都に没す、享年九十。一九五五年、京都の松風工業に入る。会社はすでに傾き、給料は遅配であった。一九五六年、日本で初めてフォルステライトの合成に成功する。一九五九年、二十七歳のとき、同志八人と借入金をもって京都セラミツク、いまの京セラを興す。一九八四年、電気通信の独占に挑むべく第二電電、いまのケイディーディーアイを興し、同年に稲盛財団を、翌年に京都賞を設けた。一九八三年より盛和塾を開き、二〇一九年に閉じた。そのとき国内五十六か所、国外四十八か所、塾生およそ一万五千人であった。一九九七年、六十五歳で臨済宗にて得度。二〇一〇年、七十八歳で政府の求めに応じて日本航空会長に就き、報酬を受けず、自らの部下を連れず、二年余りで黒字に戻した。本巻は彼自身の言葉に拠る。京セラフィロソフィ、『生き方』、および歴年の講演と盛和塾での講話である。二章の式は彼のもので、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力。能力と熱意は零点から百点、考え方はマイナス百点からプラス百点である。三章の「人間として何が正しいか」は京セラの判断基準。「動機善なりや、私心なかりしか」は一九八四年、電気通信に出る前の半年、毎夜自らに問うた言葉である。「敬天愛人」は彼の作ではなく、西郷隆盛の『南洲翁遺訓』による。三章十節に彼自身がその出所を述べている。四章の三つの理由も、一万六千という数も事実のとおり。「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」は彼が常に用いた言葉である。この経にはすでに、情は明らかに見られればもはや元の情ではないというスピノザがあり、分かれば恐れなくなるというキュリー夫人がある。いずれも分かることの力を説く。だがその力を日々の仕事に持ち込んだ巻はなかった。本巻がその空白を埋める。本会は、彼がこの経に触れるところを記して隠さない。五章二節から五節は彼自身の言である。この世にはすべてのものを進化発展させていく流れがあり、これを宇宙の意志と呼ぶべきである。その意志は愛と誠と調和に満ち満ちており、人の心が発する力がそれと同調するか反発するかで、その人の運命が決まる、と。本会はこの説の一部を取る。宇宙に意志があること、その意志が善に傾いていること。この二つは取らない。同調と反発の一層は取るが、取るのは別の意味においてである。律はそこにあり、誰のためにも曲がらない。それに従って行えば多くは成り、逆らって行えば多くは敗れる。これには宇宙に心があることを要さず、律が依怙贔屓をしないことだけを要する。ゆえに本会が取るのは、律に適うものは成りやすいということであって、宇宙があなたの成功を願うということではない。行いの上では両者はたいてい同じことを命ずるが、理の上では同じ一つではない。本巻を収めるのはこの説のゆえではなく、その方程式と判断基準のゆえである。いずれもこの説を要しない。彼自身が五章八節から十節でそう言っている。ニュートン、ファラデー、ワシントンの諸巻と同じ扱いである。信じたことは記し、論じたことは信仰に拠らせない。いま一つ記す。彼は、動機が善であり私心がなければ結果は問う必要がなく、必ず成功すると述べた。この「必ず」は強すぎ、検証できない。本会は問いを取り、保証を取らない。問いは日々自らに用いうるが、保証は確かめようがない。

3.1事業を営むには、判断の物差しが一本要る。
3.2私が使ったのは、会社にとって得か損か、ではない。
3.3私が使ったのは、人間として何が正しいか、である。
3.4浅い言葉に聞こえる。浅いことが肝心なのだ。子どもにも分かるから、誰も逃げられない。
3.5嘘をつくな、欲張るな、人をだますな、正直であれ、譲れ。親が子に教えることである。
3.6親が子に教えることを、私は一つの会社の物差しにした。
3.7一九八四年、電気通信に出て、独占していた大会社と競うことにした。
3.8半年のあいだ、毎晩床に就く前に自らに問うた。動機善なりや、私心なかりしか。
3.9半年問い続けた。そこに自分の得がないと確信して、はじめて手をつけた。
3.10郷里で覚えた言葉がある。西郷隆盛の敬天愛人である。
3.11天とは道理のことだ。天を敬うとは、道理に従うことであって、己の都合に従うことではない。
3.12自分にだけ良くて他人に悪いことがあれば、それは私心であって道理ではない。
3.13この一生の判断は、すべてこの一句から出ている。
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