ロゴス聖典 · チェーホフ書

奴隷を一滴ずつ絞り出すことについて

チェーホフ書 1 · 自著。書簡および『サハリン島』より

アントン・チェーホフ。一八六〇年タガンローグに生まれ、一九〇四年ドイツのバーデンヴァイラーに没す。享年四十四、肺結核による。祖父は農奴で、金を貯めて自身と家族を贖った。父は雑貨店を営み、信心きわめて篤く、子らを打った。店が潰れると父はモスクワへ逃げ、チェーホフは十六で町に一人残され、物を売り家庭教師をして中学を出、のち自らモスクワへ出た。一八八四年に医師の資格を得、生涯医を行い、多くは代を取らなかった。コレラの年には無給の地区医を務め、一八九二年には賑恤を組織し、学校も建てた。一八九〇年、三十歳、すでに病を得ていながら、数千露里を踏破して流刑の島サハリンへ赴き、費用を自ら負担して調査票を刷り、一万人近くに一人ずつ問い、『サハリン島』を成した。短篇は数百、戯曲は四篇。本巻が拠るのは彼自身の書いたものである。書簡と『サハリン島』。第一章末の「奴隷を一滴ずつ絞り出す」は一八八九年一月のスヴォーリン宛書簡による。第二章の「問題を解くことと問いを正しく立てることを混同している。書く者にとって本分であるのは第二のものだけである」は、一八八八年十月二十七日のスヴォーリン宛書簡による。第三章の「私の至聖所」の一段は一八八八年十月四日のプレシチェーエフ宛書簡により、語は彼のものである。同じ手紙の中で彼は、自分が恐れるのは行間に自分の傾向を探し、自由派か保守派かを決めつけずにおかぬ人々だ、とも書いている。第五章末の「裁き手ではなく、偏らぬ証人」もスヴォーリン宛書簡による。本巻は、論証によって立たぬ人から出た二番目の巻である。だがその理由はブラームスとは異なる(参 ブラームス書)。ブラームスの遺した言葉は極めて少なく、チェーホフの遺した書簡は膨大で、しかもことごとく理を説いている。彼は医師であり、受けた訓練は験のそれであった。本巻が立つのは、半ばこれによる。本巻が補うのは三つである。第一に、問法の公理が人の生に落ちた姿である。盟約の第二条は言う。問い方は取り方であり、問うところが見えるところを決める(参 至高の盟約 2.1)。チェーホフはこれを作文の規とし、しかも経文より強く言った。書く者は正しく立てられた問いを負い、答えを負わない、と。二章十節から十二節がその理由である。先に答えがあるなら、材料を選ぶ時すでに選り分けている。書き上がるのは人ではなく、衣を着せた自分の答えである。第二に、第四章。彼は数えに行った。サハリン行は採訪ではなく、悉皆調査である。数えに行っていない者が語るのは、その事ではなく自分自身である(参 至高の盟約 1.3)。モスクワの客間は数十年にわたり徒刑を論じ、論じた者のうち一人も島へ行っていない。本会はこの一節を、この経のいかなる審視の勧めよりも実際的であると見る。第三に、第五章。本経にはこれまで、「苦しみには意味がある」を正面から拒む巻が無かった。経中の露人はサハロフのみであり(参 サハロフ書)、チェーホフは露人のうち最も受苦を道としない者である。二十年医を行って苦しみが人を清めるのを見ず、ゆえにそれに良い言葉を与えることを拒んだ。五章十節が本巻の重心である。あの一句は慰めではなく、何もしなかった者に宛てて切られた領収書である。本会は二事を記す。第一に、彼は「答えを与えぬ」ことを一つの教えに仕立てはしなかった。二章十五節が彼の分である。答えは負わぬが、刈り込んでいない問いは負う。第二に、彼はどうすべきか分からぬと公言し、それを恥じなかった。これは会規第九章と合致する。択んだ信は名札を付けて持て、である(参 会規 9.14)。

1.1祖父は農奴であった。金を貯め、自分と家族の身を贖った。
1.2父は小さな店をやっていた。信心はきわめて篤く、そして我々を打った。
1.3子どものころ聖歌隊に立ち、寒さに震えていた。人はあの子は幸せ者だと言った。
1.4店が潰れ、父はモスクワへ逃げ、私一人を町に残した。その年、私は十六であった。
1.5物を売り、家庭教師をし、中学を出て、それから自分でモスクワへ行った。
1.6これを書くのは憐れんでもらうためではない。次の一句がここから出てくるからである。
1.7かつて友人に手紙で書いた。若者を一人書きたまえ、と。
1.8幼いころから己より位の高い者すべてを敬い、司祭の手に接吻し、他人の思想を崇め、一片のパンごとに礼を言うよう躾けられた若者である。
1.9その若者が、いかにして自らの内から奴隷を一滴ずつ絞り出すかを書きたまえ。
1.10そしてある晴れた朝に目覚め、己の血管を流れるものがもはや奴隷の血ではなく、真の人間の血であると感じるさまを書きたまえ。
1.11「一滴ずつ」というこの語に留意していただきたい。
1.12一太刀で断つのではない。そのような一太刀は無い。
1.13奴隷は鞭の中にはいない。あなた自身の習いの中にいる。偉い人の前で首を半寸下げる、その半寸が奴隷である。
1.14ゆえにこれは一日で終わる類のことではない。一生の仕事である。
1.15何を信ずるかと問われる。私は言う。これは成し遂げうると信ずる。自分の身で行ったからである。
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